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こぼれたミルクは皿には戻らないが、猫がなめてくれる

東京都文京区・白山にある喫茶店 喫茶おとらのブログ

今年最後のいい言葉

芸術では食っていけない。
だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、
いかにも人間らしい手段だ。
上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。
シャワーを浴びながら歌を歌う。
ラジオに合わせて踊る。
お話を語る。
友人に宛てて詩を書く。
どんなに下手でもかまわない。
ただ、できる限りよいものをと心がけること。
信じられないほどの見返りが期待できる。
なにしろ、何かを創造することになるのだから。
ーKurt Vonnegut

皆様、よいお年を。


大竹伸朗

別海の穴堀りからロンドンの生活まで、その中心にあったのって絵じゃん。
絵に関しては思いを曲げないでやってきたことが、
もし世の中的にこれは無意味だといわれたら、逆に納得いくよね。
これでダメなんであれば俺はもう信じるものがないもん。
そういう星の下に生まれたんだなって。まあ後悔はない。
あの時こうしておけばよかったっていうの、ないもんね。
やれるだけのことはやった。
あと認められるかどうかは。俺の問題じゃない。
ドメスティックに終わろうが、どうでもいいやって。
ー大竹伸朗

久しぶりに...John Irving

オウエンはぼくに野球カードをくれたが、本当はそれを返してほしかったのだし、
ぼくは彼に剥製のアルマジロをあげたが、もちろんそれを返しほしいとおもっていた
ーそれもこれも、ぼくたちが本当はどう感じているかを、おたがいに相手に言うことができなかったからである。

あんなに強くボールを打つのはどんな気持ちだったかーそして、そのボールがきみの親友の母親を殺したんだとわかって、どんな気持ちだったか?ぼくの母が芝生のうえにのびているのを見るのは、そして行方不明の野球のボールのことでのろまな警察署長に文句を言われるのはーそのいまいましいボールが「死の道具」とか「殺人の凶器」とか呼ばれるのを聞くのは、どんな気持ちだったか?
オウエンとぼくにはそんなことを話し合うなんてできなかったー少なくとも、そのときには。

だから、ぼくたちは自分の最愛の所有物をたがいに差しだして、返してほしいと願ったのだ。
そう考えると、それほどばかげたことではないだろう。

John Irving「オウエンのため祈りを」

今年最後のいい言葉 Kurt Vonnegut

夏、わたしはおじといっしょにリンゴの木の下でレモネードを飲みながら、
あれこれとりとめもないおしゃべりをした。
ミツバチが羽音を立てるみたいな、のんびりした会話だ。
そんなとき、おじさんは気持ちのいいおしゃべりを突然やめて、大声でこう言った。
「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」
だからわたしもいま同じようにしている。わたしの子どもも孫もそうだ。
みなさんにもひとつお願いしておこう。
幸せなときには、幸せなんだと気づいてほしい。
叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。
「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と。
ーKurt Vonnegut


みなさま、よいお年を。

John Irving

愛している誰かが死ぬとき、しかも予想していないときに死なれた場合、
一度に突然その人を失うわけではない。長い時間をかけて、少しずつ失っていくのだ。
しだいに郵便物が来なくなり、枕やクローゼットの衣類からにおいが薄れていく。
少しずつ、なくなった部分、欠けた部分を積み重ねていき、そしてその日がやってくる
ーある失われた部分に気がついて、母は永久にいなくなったのだという痛切な思いにかられる。
そしてまた一日、すっかり忘れて何ごともなく過ぎたと思うと、またもや何か失われた部分、
欠けた部分に気づかされる。
ーJohn Irving 「オウエンのため祈りを」より